11月9日(土)夜、2丁目の福祉施設建設について藤井会長代行が、住民集会を召集し、2丁目の山を削らず、造形芸術大に貸しているグランドに、福祉施設を建設する要求を総会を開いて決議しようと提案しました。
満願寺に頼んで、重機械の出入リを封鎖すると提案し、採決ました。
採決で、総会に賛成の人は少数でした。
賛成の挙手を数えた梅村さんが、過半数に足りませんと言いました。
採決の結果を無視して、藤井氏は強引に総会を決めました。「300人は、必要だ。
集まらねぱ、反対運動は終わりだ」とも言いました。
総会に多数人が集まる可能性の無い事は、藤井氏が一番よく知っています。
[3] 5月の着工の時、封鎖し、重機械の搬入を止めたら、工事を止められました。
現在、必要な重機械は工事現場に居ます。山を削りグランドを拡げる、現場の中だけの工事です。今、道路を封鎖しても、工事を止める事は出来ません。
5月に封鎖せずに、今、封鎖すると言います。本気で工事を止める気はなく、住民の反対運動を沈静化する為の、ガス抜きが目的だからです。
11月18日(月)。日が暮れてから、大型のパワーショベルが工事現場へ搬入されるのを犬の散歩中見ました。自治会の活動は、市や造形芸術大に筒抜けのようです。
[4] 平成7年6月の定例役員会で、北脇副会長は、「山を削らず、グランドに福祉施設を建てる要求」の決議を提案しました。藤井会長は反対しました。役員から長尾台自治会の全員から「署名」を集める提案が有りました。藤井会長は又、反対しました。北脇副会長は役員会の賛否を採りました。大多数の賛成で「署名」集めが決まりました。
北脇が署名用紙と文案を作り、平成7年7月の定例役員会で配布しました。藤井会長が「9月の役員会までに集めれば良いだろう」と言いました。
北脇は、8月の始め、署名の文と同じ物を保存用に作リ役員に配りました。この時、ほとんどの役員が署名を集め了って居ました.完了した分は集めました。総務長から、「会長の意向だ。集めるな」と電話が有りました。 長尾台自治会の会長経験者が、
「造形芸術大学に嘱託で働かないか」と云って,来ました。定年退職したばかりで、魅力的な話ですが、御断りしました。すると北脇の家内に説得しました。家内も御断りました。後日、環境委員の1人が、その前会長に「けしからん 造形芸術大に頼まれたのか」と詰問すると、「間接に」と答えました。
長尾台自治会は、宝塚市や業者(造形大)と癒着しています。これでは、環境や住民の権利は守れません。
署名は、北脇が保管し、10月始め、雲雀が丘クラブで開かれた町づくり協議会で、藤井会長から市長に手渡して貰いました。その時、北脇から市長に「住民の82%の、署名です」と念を押しました。
市長は「自治会との話は済んでいるのに、今さら、反対は困る」云って怒りました。(平成6年11月。自治会の最高幹部が、山を削り福祉施設を建てる市の計画に、住民に秘して同意の印を押し、市議会で工事予算が可決されています)
[5] 藤井氏が会長に就任したと言います。正規の会長と総務庁は兼任できません
会則の11条と12条で、自動的に、北脇が総務庁に就任しました。