平成15年1月28日(文責 吉成)

ふじガ丘自治会とホームページ(その5)

新花屋敷温泉探し

じガ丘住宅地は昭和40年代の後半に造成され、グレースタウンは平成8年頃から造成されました。昭和初期にはこの街は新花屋敷温泉というレジャーランドで温泉があり川をはさんでブランコや動物園もありました。長尾台小学校の勉強でも郷土の話題として扱われるようになったのでご存知の方も多いと思います。

 

年前にふじガ丘に温泉があったと聞いてその話をイークラブに持ち込みました。イークラブのホームページに平成12年4月2日「ふじガ丘の温泉は何処にあったか、どう調べるか」とあります。辰巳商店のご主人に伺ったところ「ふじガ丘に新花屋敷温泉があった。母親はそこでカレーライスを食べたといっている」と教えてくれ、秘蔵している本を貸してくれた。温泉の写真もありました。

 

真はホームページにも掲載されていますが、バス停の手前にお住まいの神村さんがお家の垣根に掲示して下さっています。一度ご覧下さい。写真の右端の上部に山の稜線がほんの少し見えます。右側の橋と稜線の位置関係からこの写真はおむかいの切畑長尾山5付近の上の方から写したようでした。行ってみたのですが木の葉が邪魔してよく見えませんでした。

 

明寺川の川上に泉源があるとの話で、イークラブの面々が平成13年2月に川を溯った。確かに赤い沈殿物があるので有馬温泉の金湯に似た泉源があると思われたが写真の地形に合う場所ではなかった。帰り道にむかいの山から写真を撮った。よくは似てはいるが結論するのはこれからのお楽しみ。温泉の建物はグレースタウンの中にあり、なんのご縁か、湯上(ゆのうえ)さんのお宅付近?????。

 

服で稼いだ田中数之助氏は、川西能勢口を基点として宝塚線を使い花屋敷から満願寺前を経て多田神社までをトロリーバスで結び、能勢電を使う循環路を考えた。そして沿道の美しい林を高級住宅地とする壮大な計画を立てた。昭和3年には日本ではじめてのトロリーバスを花屋敷から長尾台の峠まで開通させ、新花屋敷温泉を開業したが不況で昭和7年までしか続かなかった。バスは国産1号車だった。

 

成13年12月に足立さんの案内で宝塚市役所西谷支所を訪れて古文書を調べた。新花屋敷温泉土地株式会社の便箋に県知事宛ての文書が書かれ、大正12年1月16日、新花屋敷温泉土地株式会社、専務取締役、田中数之助の手書きの文字と丸い捺印を見た時は心にジンときた。田中氏の “壮大な大正のロマン”に想いを馳せ、志半ばで夢を中断せざるを得なかった故人のご冥福を祈った。

 

次回は西山(辰巳商店では向山と呼んでいます)の間歩について紹介します。