満願寺からふじガ丘に入る橋の手前に看板が立っている。
民家が見えなくなってしばらく行くと砂利道になり、左の山中に入っていくと山本に出る近道が分岐している。 正面の階段を下っていくと大日十天不動明王に至り、右に不動橋を渡って上っていくとすぐに井植山荘である。

 井植山荘は大阪の大冨豪藤田伝三郎男爵が贅を尽した別邸で13万坪余あり、。庭園(非公開)は大正時代の名造園家梅叟の作とのこと。(梅叟の讃碑もある)

 山上には多宝塔があったが 2002年3月19、20日の山林火災で焼失した。
これは奈良高円山の白毫寺(天智天皇の皇子施基親王の別荘)から移建したもので、この国宝級多宝塔の写真や資料はここに集められている。
 宝塚市議会でも、文化財指定、保存、公開に関して度々議論されていたが実現せぬまま焼失し大変残念である。 (1998年12月大庭議員質問抜粋2001年12月北山議員質問抜粋

 不動明王参道をさらに下っていくと辰巳橋に出る。 ここが実は平井側の入り口なのである。
 西明寺(後に最明寺)は鎌倉幕府5代執権北条時頼が出家し、西明寺入道と名乗り庵を設けたことによる地名であり、 最明寺滝周辺は今も美しく手入れされている。

 橋を渡っても美しい参道は続き、左右に地蔵が見られる。 やがて宝教寺を経て阪急山本駅に至る。

 戦後、三洋電機(株)創業者の井植歳男氏がこれを入手されて以来、井植山荘と云う。(非公開)