満願寺山釣鐘山石切山栄根山
甚々、抽象的な表現ではあるが、名刹神秀山満願寺を囲む山々のこと、かつては満願寺領であったように聞いている。むかし、山麓の小戸村に一人の貧僧が現れ、村人たちからねんごろな扱いをうけた僧は、この村を永劫旱魃から救ったと云う…、僧の没後、亡骸をこの山の頂きに埋め、南面の一帯に釣鐘状の火を焚いて、供養したと伝えられている。
この火祭は昭和の初期、日支戦争に至るまでつづけられ、池田市背山のがんから火(大文字)と共に、為奈の原一円豊穣の祈りがこめられ、また夏の風物詩でもあった…。
猪名の端山の東部、名刹満願寺の東方にみえる山のこと、むかしこの山で火打石を切り出していたことから、それが山の名となったとか…、東の山裾に火打という集落がある。寺畑山とも云うそうである。花屋敷や雲雀丘住宅地の凡てが、桜林山栄根寺の寺領であったとある。